2010年2月28日日曜日

ねずみを捕らない猫の話


我が家には猫が5匹いる。メスが二匹、オスが三匹、みんな可愛い我が家の猫たちである。
ただ、この5匹は、普通の猫たちのように、家の中では飼っていない。

全員が、家の外で生きている。餌はもちろんあげてはいるが、あるものは母屋の縁の下で、あるものはセミナーハウスの縁の下で、また物置の中や縁の下で、それぞれが勝手に住んで生きている。いわば、半野良猫状態の猫たちである。

彼らは、とても良く狩をする。ネズミは元より、もぐら、トカゲ、ヘビ、その他の虫、小鳥、ハト、時には、ウサギや子狐だって捕ることがある。ただ、それは、冬以外の話である。冬、この地では雪が降るので、外での狩は限られている。ま、彼らに聞いて見なければ分からないが、あってもたまにと言うことだろう。

その分、家で食べる餌の量が一段と増える。五匹の猫が居ると、結構なものである。中には、餌場から一ときも離れない過食気味の奴さえ居る。こいつは、一年ほど家を出て山の中で生きていた。久々に戻ってからは、餌場をひと時も離れようとしない。よほど野生の暮らしが厳しかったのだろう。ひもじさの恐怖が彼のトラウマになってしまっている。

これだけ猫が居るのだから、我が家にネズミが居るはずはないのだが、冬の間はこれが結構居るのである。夜寝静まると屋根裏や壁を這う音がするのだ。そんな時には、「おい猫どもよ、ネズミを捕るのはお前たちの仕事だろ!」と従業員を叱る社長よろしく怒ったりもするのだが、一向に効き目がない。

よく考えれば、当たり前である。狩などしなくても、毎日、充分な餌が黙って出てくるのだから、わざわざ苦労してネズミなど捕るはずがない。飽食は、動物の本能さえも曇らせてしまうようだ。卵を産まなくなった鶏も断食させるとまた産みだすと言うから、腹を減らせば本能は蘇るということだ。

人間も同じである。豊かすぎる日本人が、経済でも政治でも、スポーツでも文化面でも、今一歩、本来の日本人らしくなくなって来ているのは、食べ物があまりにもあり過ぎるからだろう。ネズミを捕らない猫たちから教えられたことである。

2010年2月25日木曜日

母が94歳になりました


母が今日で94歳になった。

十年ほど前に認知症を発症してから自宅で一緒に住むことが困難になり、市内の老人保健施設でお世話になっている。一緒に暮らしてあげられない申し訳なさがいつも心から離れない。不肖の息子である。

施設では、家族以上に親切に何から何まで面倒を見てもらえるので本当に有り難い。介護をしてくれるスタッフには心から感謝の日々である。母は、元来とても丈夫な方だったが、4年ほど前に転倒して足を痛めてからは車椅子の生活が続いている。

ここ数年、一年ごと、いや、半年ごとに食欲も、言葉も少なくなりつつあるが、それでもまだまだ元気である。生きようと言ういのちの意思をしっかりと持っている。粗食と苦労で培った子供時代の生命力のなせる技なのだろう。

親の寿命は、子として、人生の一つの目標でもある。53歳で亡くなった父親の歳をはるかに超えた94歳の母。よくぞここまで生きてくれました。心から「ありがとう!」を言いたい。

健康は、ある程度の心がけがあれば出来ることだと言う気がする。しかし、長寿は、それだけでは叶わないもののような気がする。生まれつきその人間に与えられたもの、そして、人生をどう生きたかの総合的な力の結果であり、それを知った神様からのご褒美でもある。

それにしても、人生90年の長きに渡り生きると言うことは、すごいことである。オリンピックで言えばメダリストだ。90歳は、銅メダル。95歳は、銀メダル。100歳は人生の金メダルである。そこから言えば、85歳は入賞。80歳は、オリンピックの参加資格。70代は国内予選。60代は、まだまだ地方予選みたいなものである。

ようやく地方予選の参加資格を得たばかりの自分。銀メダル真近の母の、人生を生ききる力強さを今の内にしっかりと感じて置きたいものだと、ふと思った母の嬉しい誕生日である。

インド回想記(6)インドの先住民デリッー


 インドの最下層の人々のことをハリジャンと呼ぶ。この人々は、アンタッチャブル(不可触賤民)と言われ、触れたら寺でお清めを受けろと言われたほど忌み嫌われて来た人々である。

 インドには、この最下層に位置する人々が2億4千万人いるそうである。その人々を様々な分野で支援している<レッズ>と言う団体を訪ねた。

 リーダー夫妻は、そのカースト出身であった。彼の言葉によると、ハリジャンとは、<神の子>と言う意味で、インド解放の父ガンディーによって名づけられたと言う。

 その理由は、このカーストに属する人々は、かつて、牛馬同様の扱いを受けており、娘たちは寺に集められ、人々の慰み者となっていた。そこで、親の分からない子供が沢山産まれた。

ガンディーが、英国の占領からインドを解放した時、この子たちをどのように扱えば良いのか悩み、寺で生まれたこどもだから<神の子>としたそうである。

しかし、歴史学者の論からもインドの先住民であると認められている彼らにとって、この名は、侮辱以外の何物でもなかった。インド人にあまねく尊敬されているガンディーも、この人々の間でだけは、口にしたくない名前だそうである。

 自分たちこそが先住民であると誇りを持つリーダーは、彼らの精神性や文化に関する沢山の本を書いていた。とても興味深い内容だったので二冊ほど買った。

 普通のインド人の額の印はオレンジ色だが、彼らは藍色を塗る。それは、彼らの祖先が藍染に携わっていたことから来ているらしいが、同時に、それは海の青であり、宇宙の青でもあるとリーダーは胸を張って言った。そして、今では、市民権を得つつある彼らの誇り高いシンボルカラーでもある。他のカーストの若者たちの間ではファッションになりつつあるとも聞き、変わりつつあるインドのカースト制度の実態を知った。

2010年2月19日金曜日

オリンピック選手に思うこと

冬季オリンピックがたけなわ、どんなスポーツでもアートでも、一流はじつに面白い。
特に国内のそれとは違って、世界の中で日本人のセンスや力量がいろいろな角度で見えてくる。比べることで国民性の違いもよく分かる。

素晴らしい能力を持っている選手が一杯居るが、特に、金銀銅のメダルに届く選手と言うのは、どこかが違う。いわゆる、オーラが演技にも人格にも漂っている。体力面は元より、メンタル面の強さが違う。世界のトップ選手の技術はどんなスポーツも僅差である。勝負の分かれ目は、結局、精神力の強さにあるようだ。

その意味では、体力面でも精神面でも今一つ頼り無い日本選手にいつも無念な思いを抱く。なんてことを言うこと自体がもう時代遅れの感性なのかも知れないが、それでもやっぱり我々の次代を担う日本の若者たちの体力や精神レベルは気になる。

顔を見れば、その選手の身体の状態がよく分かるが、日本選手の多くが腹に力がない。いわゆる胃や腸が緩んでいる。呼吸も浅い。顔もむくんでいるのが多い。これではモチベーションが上がるはずがない。多分、甘いものや果物、清涼飲料水やアルコールの摂りすぎが原因だろうが、あの緊張の無い身体の状態では、絶対に、これっと言った勝負の時には勝てるはずがない。いい食べ方をしてくれたらいいのになあ、とつい思ってしまう。

肉体的にも精神的にも、世界に勝つコンディションを作るためには、食のコントロールと知恵が絶対に必要だ。日本のオリンピック選手にぜひ伝えたいことである。

2010年2月16日火曜日

閑話休題


 この写真は、私の書斎の窓から見た我が家の森の風景である。ここ数日、めずらしく雪が多い。しかし、じつは、ここ数年来この地でもめっきり雪が少なくなっている。

 温暖化の影響だろうが、正直なところ、雪のない山暮らしはぐっと楽である。新潟の豪雪地帯に生まれ、北海道で育ち、田舎暮らしを考えた時に真っ先に頭にあったことは、雪は多少降ってもいいが、生活が困るほどに降らない所に住む!が、この地を選んだ理由の一つでもあった。

 かつて、友人が、「自然」に注文をつけてはいけない!と言ったが、その通り。天気だ、雨だ、風だ雪だと騒いでもいいが、どうなって欲しいなどと決して注文をつけてはいけない。自然は私たちの親であり、私たちが自然を創った訳ではなく、私たちは、自然から産んでくれた生き物の一つに過ぎないからだ。

 雪が降らなきゃ、その年の米は不作だと言われている。水仙の花に喜ぶ春の待ち遠しい気持ちも薄れる。雨が降らなきゃ、作物も我々も生きては行けない。傘屋も儲からない。風が吹かなきゃ暑くて仕方がないし、風車の発電もままならない。洗濯ものだって乾き憎い。

 嫌だと思った時に、もしこの自然がなかったなら、と考えれば、たちどころに、今ある自然のままでいいと思える。人間にとって自然は、ただそのあり様をそのままに受け取ることだけが許されているものなのだ。

 雨の時は雨を楽しみ、雪の時は雪を楽しむ、暑さもいいし、風もいい。雷だって有り難い。この地に30年住んで、ようやくそんな自然のあり様を、日々、そのままに楽しめる気持ちになって来た。「雨にも負けず風にも負けず・・・」の宮沢賢治の詩は、もしかしたら、そんな人間の気持ちを謳ったものなのかも知れない。雪がこんなに美しいものなのかと改めて思うこの冬である。

2010年2月14日日曜日

インド回想記(5)女性のパワー


インドの農村では、女性の地位がまだまだ低く、直接収入を得る道がほとんど無いと言ってもいいでしょう。そのため、州政府は、NGOと協力して、女性たちが賃金を手にすることが出来る様々な仕事を作り出そうと努力しています。

この写真は、そうしたプロジェクトの一つで、大勢の女性たちが湿地にある砂を運び出す土木工事の様子です。皆、素足で泥の中に入っています。二列になって並び、その先頭に男性が居て、短い鍬を使って砂をざるに入れます。それを、並んだ女性たちが手渡しで隣の人に渡して行くのです。一方の列で砂を運び、もう一方の列でその空になったざるを戻します。

広大な湿地の砂をそんな人海戦術で運び出せるものかと、土木機械による工事が当たり前になっている日本人の感覚では、大いなる?でもあったのですが、見る見るうちに、最後尾の女性の足元に巨大な砂の山が作られて行きます。40度はあると思われる炎天下で、延々、2時間近くもこれを休まずにやるのですからすごいもの。恐るべき女性パワーには大いに感動でした。そして、女性たちには、わずかな金額であってもしっかりと賃金が支払われます。素晴らしいことでした。

休憩時間には、炊き出しチームが、巨大な鍋で紅茶を煮て、牛乳を注いだインド特有のチャイを一杯飲み、再び仕事にかかります。

じつは、15年前に北インドを旅した時には、農村では、農作業はすべて女性。家事も女性。男たちは、昼間から、酒を飲みトランプに興じていると聞き、男性に金が渡るとギャンブルや酒に消えてしまうけど、女性は手にしたお金を必ず家族や子どもの教育のために使うと聞き、女性支援の大切さを学んだものでした。どこの国にもありがちなこと?

こんな重労働を一日中やりながらも、女性たちの輪の中には笑い声が絶えませんでした。「強き者、汝は女なり!」の神話は、ここインドでも生き生きと息づいています。

2010年2月10日水曜日

インド回想記(4)「サデュー」と言う修行者


インド人の大半は、ヒンズー教です。そのヒンズー教では、人生の理想的な生き方を、「学習期」「家住期」「林住期」「遊行期」の四つのステージに分けて、修行者の道標として進言しています。

「学習期」とは、いろいろなことを学ぶ子ども時代。「家住期」とは、結婚し、家庭を持ち、子どもを産み育てる時代。「林住期」とは、森に住み悟りを開くための修行をする時代。「遊行期」とは、子どもも家も妻も、悟りの修行からも、一切のものから身を解き放ち、死に場所を求めて町々、寺々を流浪をする時代と言われています。その遊行期を過ごす修行者を「サドー」と呼んでいます。

これは、人間が人として生まれ、やがて神に帰依するまでに、どのような人生を送ることが必要か、最もスムースな道なのかを説いた教えです。そうなるためには、社会の中で創られた一切の制度にこだわることなく、家族と言った最も愛する対象からも、物欲は元より、悟りを得ると言う執着からも己を解き放つ、そんな生き方をしなさいと言ったものです。

人が悟るためのじつに見事な「悟りマニュアル」ですが、これをテレビで知った青春時代、「そうか、これをやれば俺も悟ることが出来るか!」などと、浅はかにも真剣に思ったりもしたものでした。が、その後、そうしたサデューたちが、じつは、最後の死に場所で一人死んで行く時に、愛する家族にもう一度会いたいと号泣するのだと聞いて、ああ、人間は、そこまでしても悟れないものなのだなあと納得、でも、そうまでしても悟りたいとあがく人間、男の性(サガ=カルマ)が、どこか寂しくも、悲しくもあり、妙に共感するものがあり、とてもサデュー愛おしく感じられたものでした。

実際、インドには、現在でも、この教えに従って生きる人々が居るようですが、この写真の人物は、多くの人が沐浴をする様子を見に行った時、その川べりに座って居た人でした。
果たして、この人が、本物のサデューなのか?あるいはただの物乞いか?は、知る術もありませんでしたが、しかし、この顔つきはなかなかのもの。正真正銘のサデューのようにも思えて、思わずわずかばかりのお布施をして、パチリと撮らせてもらったのがこの写真。

サデューに関しては、一方ならぬ思いを長年持ち続けて来た小生。このらしき人物との出会いに心躍らせてツーショットももう一枚撮らせてもらいましたが、にやけた小生の顔とサデューの威厳のある顔は似合わず、これはオフレコ。ああ、願わくば、この人物が、ぜひ本物のサデューでありますように・・・・。

2010年2月9日火曜日

インド回想記(3)カレーの話


 ご存知インドはカレーの国である。最初に行った15年前は、行くところ、行くところ、毎食がカレーづくして、調子に乗って食べていたら、とうとう三日目に下痢をして偉い目にあったことを思い出す。そんな経験もあったので、今回は、用心をして、お粥やインスタント味噌汁等をいつもの旅以上にたっぷりと持参した。

 しかし、結果から言えば、この日本食はほとんと食べずに済むことになった。と言うのは、この15年間に、小生の食のサバイバル術も少しは向上したらしい。それと、今回は、カレーに対して、これまでにない発見や体験をして、大いに見直すこともあったからである。

 カレーは、食養の世界では、刺激物として、病人は元より、健康人も極力控えた方がいいと戒める。たしかに、己の力量を知らずに食べてしまうと偉い目に会うのはたしかである。インド人がその少々危険な香辛料を。半端でなく日々大量に食べ続けられるのは、勿論、長い歴史で身体が刺激物になじんでいるからではあるが、それとは別に、インドがそれだけ暑い国だからでもある。

 つまり、香辛料と言うものは、血管を広げ、毛穴を開き、余分な熱を体外に排出する働きがあるものだからだ。そのため、暑い地域では、外気によって体温がオーバーヒートを起さないように、香辛料を沢山摂って、余分な熱が体内こもらないようにしている訳である。

 ちなみに小生、知らずに一度青い唐辛子を青豆と勘違いして、思い切り噛んでしまって、ほぼ30分、口の中が大やけど状態となり、偉い目にあってしまった。こんな場合は、ヨーグルトを食べるいいらしいが、小生はベジタリアン。塩水をなめて問題を解決した。思い切って開ききった舌の細胞を、塩でちょっとばかり締めてやればいい訳である。辛くていい体験だった。

 このカレーの効力で、インド人は、男も女も、子どもも年寄りも、非常に顔立ちがはっきりとしている。取り立てて美人や色男でなくても、ほんとに、目鼻立ちがぱっちりとしてきれいで思わず見とれてしまうほどだ。日本にも美人が増えたとは言うが、そのきれいさとは次元が違う。それほどきれいなのだ。そして、何よりも姿勢が良い。かなりの年寄りでさえ、日本のように腰が曲がって姿勢が崩れている。なんてことがない。サリーの爽やかさと相まって、本当に、歩く姿がモデルさんと見間違うほどに皆見事にきれいなのである。来世はインドに生まれて来るのも悪くはない。などとたわけたことを密かに思ったりしている

 これは、明らかに香辛料のお陰であることが今回良く分かった。不祥、己の顔も、日に日に垢抜けして白くなり、身体のどこを触っても柔らかい。皮下脂肪がほんとに少なくなっているのである。そして、日本で食べている食べ物を食べるとじつに身体に重く感じる。いや、食べ物どころか、水でさえもずしんと重いのだ。

インドの食事は、カレーにチャパティー、そして、果物。そんなものがほとんどだ。塩味も薄くどれもが身体に軽ーいものばかり。インド人が、人あたりが柔らかく爽やかで、心身共に我や存在感を感じさせないのは、暑い気候と相まって、こうした軽い食べ物ばかりを食べているからだと言うことが、今回の旅でよくよくわかった。

カレーの効能を再発見し、そこそこにカレーも果物も存分に堪能しながら、下痢もせず無事に帰国した。そして、頭も身体も行く前よりずっと軽くなってもいる。小生が脳のチャクラを開きも少しスピリチャルになるには、もっともっと軽い食事にしなきゃならない。と気付いた次第。旅はいろいろなことを教えてもらえる。じつに、有り難いことである。

2010年2月8日月曜日


私たちのNPOと以前から縁のあったインド中央政府の前経済計画大臣ラジャセカラン氏と懇談する機会を得た。腰の低い人当たりの柔らかな好人物である。

彼は現在、自ら設立した恵まれない子どもたちに教育の場を提供するNGOを娘さんに託し、農村開発、環境保全、人権保護が専門で、広く科学研究や人材開発にも貢献、世界的に活躍をしている人物である。

彼 は、昨年から、貧困層に行き渡らないインドの食糧問題を少しでも改善しようと、政府を始めとしたインドの主要人物8000人と、政府、大学、研究機関、各 企業の3000団体に向けて1週間に一度断食をしようと呼びかけている。我々にもその意義を熱く語ってくれたが、提案先の多くの個人、団体から、賛同する 返答が返って来ていると言う。

この呼びかけのすごさは、断食で浮いた費用を寄付として集めるなどと言うものではなく、ただ、各自で断食をして欲しいと言うところにある。そのことによって、自ずから消費されずに済んだ食糧が、不足している貧困層に少しでも届きやすくなる。と言う考え方なのである。

2010年2月6日土曜日

インドの旅


 参画しているNPO「2050」の研修旅行で南インドに行った。15年前に第一回目の研修旅行以来二度目のインドである。

 初めて訪れたインドでは大いなるカルチャーショックを受けたが、近代化が遅れていると思われる南インド。再度の感激を期待しながらの旅であった。

 南インドの中心都市バンガロール市は、IT企業が立ち並び、世界でトップレベルのソフトウエアーを作っていることで知られる。その通り、先進国並みの空港、ハイウエイ、驚くほど立派なITショップにその片鱗を垣間見た。

 しかし、人々の暮らしぶりは、15年前の北部のそれとそれほど変わってはいないように思えた。汚れた川、ゴミの散乱、物乞いの姿、野良犬や野良牛。市街地を数十キロ離れれば、そこにはまだ、数百年前と少しも変わらない農村の人々の暮らしがあった。

 カースト制度は緩やかに壊れつつあると聴いたが、IT企業で豊かになった人々と、社会に置き去りにされつつある農村の人々の経済格差は、新たな貧富のカーストを人々の間に形成しつつあるようにも思えた。

 他の国には見られないこの大きな格差は、近未来のインドに相当困難な課題を産み落とすことだろう。光は、明るければ明るいほど、陰をより一層暗く、そして深くするものである。インドの行く末をこれからも見続けて行きたいと思えた旅であった。