2011年6月27日月曜日

体内被曝覚悟のトキが来た

 事故の当初、騒がれていた原発から拡散された放射線量の問題、多くの地域でモニタリングが始まり、その影響の大きさが次第に明らかになって来た。

 先日、小田原で「原発事故を考える会」が催された。隣村の友人と私、飯舘村の村おこしに関わった研究者の三人がパネリストとして呼ばれた。以前、小田原の茶畑でセシウムが検出されたことから開かれた会であった。

 放射能の問題ほど、受け取る側の間に大きな温度差があるものもない。目に見えないものが相手だけに、その人の考え方次第でどのようにも解釈できるからだ。

 お茶の葉に放射性物質がでたものの、原発から距離のある小田原では、当然、福島県民のようなピリピリとした雰囲気はない。どちらかと言えば、参加者の多くが、少し身に危険が迫ったので事態をよく知って置きたい。というような参加の仕方であったように思う。

 市長も参加してくれたこの会の参加者からは、事故の悲惨さが肌で感じられて良かったと言う感想を多くもらった。こちらも被災者としての実情を報告できてとても良かったと思う。

 体外被曝の問題である放射性物質の危険性は、どれだけ周辺に降り注いだかによる。線量が高ければ避けなければならないし、問題がなければ、パニックになる必要はない。

 しかし、体内被曝の問題はまったく別である。子どもを抱える若いお母さんが心配していたのは、これからも給食と摂り続けて良いのか、店で買う野菜や食品はどうしたら良いのか?と言うものであった。先日、いわきに戻った際に知人から聞いた話が、この体内被曝を避けることの難しさ、危なさを教えてくれた。

 「いわきでは、周辺の海で獲れたものを店で売っているのだろうか?」という私の問いに、知人は、「いわきで獲れた魚は売れないので、千葉県の港で荷降ろしをして千葉産として売っているらしい」という話を、当たり前の話だよねと苦笑しながら話してくれた。そもそも魚は、荷おろしをした港が産地になるそうだから、当然のことでもある。

 そんな決まりを知らない消費者が、千葉県産なら安心といわきの魚を食べる。これもまた、当然のことだ。これは、魚と言う一部の食品についての話だが、当然、人はただ一つの食べ物で済ますことはない。どの家にも、日々、何種類もの食べ物が食卓に上がる。外食の場合には、まったく店にお任せの食べ方になってしまう。

 野菜、果物、その他の食品の、栽培から流通、販売に至る広く複雑な目に見えないルートを考えると、例え、一部が検査で問題はないと公表されたところで、汚染された食品は絶対に消費者の口に入らないと誰が言えるだろうか?

 体外被曝は、地域が限定される。しかし、こと空気から、水から、そして、食物から摂り込まれてしまう体内被曝に関しては、地域はまったく限定されない。日本中が汚染地帯になる可能性があることを、十分に認識しておく必要がある。

 「フクシマ頑張れ!」の名のもと、福島県民を応援してくれるその気持ちはあり難いが、実害があるかも知れない汚染食品を、風評被害の名のもとで売ったり食べたりしてしまうのは、あまりにも危険だ。この危険な事態が、今後、日本全国のどこででもきっと起こるはずだ。

 体外被曝、体内被曝、いずれにしても、最早、日本に逃げられるところはどこにもないことがそろそろ分かって来た。もう覚悟を決めて、どうこの危険から赤ん坊を、子どもを、若者を、家族を守ることが出来るかを、自らの頭で判断し、サバイバルして行くしかない。

 世界のどの国よりも安全で平和だと言われて来た日本とその国民が、今はどの国よりも危険な国になってしまった。島国特有の平和ボケと言われる他人任せの呑気な国民性では、この危険な事態を生き抜いていけないことを、今こそ、誰もがしっかりと肝に銘じる時である。

 

 

 

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