2011年7月11日月曜日

哀しい感覚

 四度目の帰宅をした。諸用もあって、始めて四日間と言う長期の滞在であった。例年以上に気温が高くこの時期、手入れのしていない庭には、夏草が存分に伸びていた。自然の力はすごい。人間が手をいれなければ、たちまちモトの原野に戻ろうとする。このまま二三年放棄しておいたら、草や木が伸び放題に伸び、庭はモトより、何もかもがすっぽりと自然の姿に戻ってしまうことだろう。

 そんな自然の中で、見えない放射能は確実にその存在を誇示していた。線量は思いのほか変わっていない。ヨウ素が充満していた当初のような空気の違和感はなかったが、一度降り注いだ放射性物質は、その半減期のままに、もう今後、数年はおろか、数十年、数百年と言った時間の流れの中でしか消えていかないことを思い知らされた。少しくらいは減少しているかな・・・の期待を完全に裏切る厳しい現実だった。放射性物質は、公表されているように、人間のいのちのスパンを遥かに超える厄介なシロモノなのだ。

 それどころか、未だに収束を見ていない原発からは、例えわずかであっても、今も確実に大気を伝わってある種の放射性物質が大地へと降り積もり続けている。積算放射線量は、当然、時間が経つほどに高くなる。帰る度に計測しているいつもの地点は、ほとんど変わらずだったが、新しく測った雨どいの下や枯れ葉の上では、こちらが驚くほどの高い数値が出た。

 平均すれば福島市や郡山市程度の汚染量だが、庭のところどころに見られるホットスポットは、飯舘村などに見られる危険なそれとほとんご変わらない。文科省や市が公表しているように、住んでいい場所などでは決してないのだ。

 放射能が降り注ぐと「硬貨を舐めた味がする」とは、以前書いたチェルノブイリの農民の言葉だったが、すでに村に戻り始めている知人たちからも、錆のような味がする。皮膚ががさがさになって、便のカタチが今までとまったく違って心配、腰が痛い、精神的ストレスが、と言った、汚染地帯に住み続けていることで感じている様々な心配を聴いた。

 今回、四日ほど滞在して、放射能が心身に及ぼす影響を身を持って実感した。当初のような頭が締め付けられるような痛みは感じなかったが、マスクを外していると、明らかに喉の中の扁桃腺が腫れて来ることが分かる。そして、手や足、顔が異常にむくむのを感じた。また、身体のあちこちがまるでアトピーにでもなったように痒くなる。掻くと異常に腫れる。明らかに、いつもの皮膚ではない。滞在中ずっと継続したこうした感覚は、勿論、精神的にも大きなストレスだった。

 知人たちの話と自分の体験を合わせると、被曝した際に感じられる症状としては、喉が痛くなる。扁桃腺の肥大感。目が痛い。頭が締め付けられるように痛い。皮膚に異変が起こる。痒みが出たり、発疹が出る。便の異常。胃や腸、腎臓、心臓等のあちこちの臓器に普段ない違和感や軽い痛みを感じる。精神的ストレス等々。じつに、いろいろな症状があることが分かった。汚染地帯を抜け出すと、途端にこうした症状が消えるのだから、間違いなくこれは放射能が引き起こしている症状だ。

 専門家に言わせると、子どもたちの放射能に対する感受性は、大人の3倍から10ほどもあるそうだ。大人でさえこれほど多くの症状を実感するのだから、訴えることの出来ない子どもたちの場合にはどんなに辛いことだろう。今、この瞬間にも福島市、郡山市、いわき市に居続けている多くの子どもたちの身体や心のこれからが本当に心配だ。わずか1ミリシーベルトでも出てくると言われる低線量被曝の様々な症状を考えると、福島ばかりか、東京も含む関東、東北全域の子どもたちの未来が心から心配になって来る。日本と言う情けない国が侵し続けている国家的犯罪である。

 限りなく身体も心も癒してくれ、いつでも優しくいのちを包み込み育んでもくれた自然が、今では、こちら側の存在を拒否するように居心地の悪いものになってしまった。「これが、放射能で汚染されるということだ!」と改めて、放射能が持つ別の怖さを知った。自分でも驚いたが、この愛する自然から、家から、少しでも早く立ち去りたいと言う気持ちになった。初めてのじつに哀しい感覚であった。宙八