2016年6月21日火曜日

「長寿の鍵は心の養生に有り」

 「人間の寿命は何歳か」については様々な異論があるが、人生の折り返し地点が還暦の60歳だとすると、その終わりが120歳と言う説もあながち根拠のないことではない。
 しかし、実際に120歳まで生きられる人は、世界広しと言えどもそうめったに居るものではない。実際に自分が還暦を過ぎて見ると、様々な衰えを実感するようになって、120歳どころか、80歳や90歳であっても、元気で長生きすることがいかに難しいかが分かって来る。
 孫が生まれ、たまたま生活を共にする様になった。そろそろ静かな生活をと願っていた矢先だったが孫中心の生活に巻き込まれ、忙しい子育てを再度味わう羽目になった。
 その孫を見ていると、子どもの成長の早さには本当にびっくりする。数日会わないだけでガラリと変わる。日々ぐんぐんと成長しているのだ。人は20歳を過ぎたら細胞分裂が終わり老化の道を辿ると言われるが、実際に還暦を過ぎて見ると、その老化の早さにも我ながらびっくりする。
 子どもは成長し大人は老いる、そのスピードはまったく同じ。妙に納得せざるを得ない気付きである。人生を元気で生き抜くには、死ぬまでピンピンコロリの「健康」が何にも増して欲しいことだが、コトはそう容易なことではない。食の健康管理は元より、運動、生活習慣、その他日々相当な努力が要る。
 日本では、還暦に赤いちゃんちゃんこ着る習慣があるが、それは、60歳が人生120歳の折り返し地点であり、還暦は、コヨミが還る「心の赤ちゃんの時代に入ったことを意味している」からだろう。若い時代には気にも留めなかった「心の養生」。天寿を全うするための鍵のようにも思える。



2016年6月19日日曜日

「グローバル化の副作用に負けないために」

 環境破壊の拡大、災害の頻発、国境の争い、経済の狂奔、医療費の高騰、社会保障の難しさ、政治の混迷と低俗化、殺人、テロの多発、貧困、飢餓の激増、格差問題、少子高齢化、あらゆる分野の二極化etc。世の中の騒々しさは、かつて経験したことのないほどに高まり、どこに解決の糸口があるのか誰一人として分からないほどに厄介になって来た。

 こうしたグローバル化(世界が一つの國になって行くこと)に伴う副作用がいよいよ日常的な現象として我々一人一人の生活に降りかかり実感として感じるほど身近になっている。集合離散、解体と創造、これまでの人類の歴史を眺めれば、こうなる運命もまた良く分かる。ただ、今後、この副作用がますます激しくなって行くことだけは間違いのないこと。少しでも穏やかな人生を望む者にとっては、まさに「厭なご時世」である。

 この流れの危険から身を守るための方法があるとすれば、心して、こうしたグローバル化のための潮流や構造から自分や家族の身を守るための努力をすることである。

 原発推進に反対であれば、自力で電気を賄い電力会社から電気を買わなくすることが最も効果的な反対運動だし、食糧危機や危ない食品が心配であれば、都会から脱出して畑や田んぼを手に入れ、自分で安全安心の野菜を栽培すればいい。1%の富裕層に搾取されて経済奴隷になることが嫌であれば、彼らがつくってコントロールしている今の経済的社会構造とその不公平なゲームから外れることが最善の方法である。

 どこか便利で快適だと願うココロがわずかでもある内は、政治でも経済でも医療でも食糧でも、きっと依存してしまうことになるし、結果、自らもその仕組みを増長させてしまうことになる。改革を願うなら、極力こうした他者への依存を止め、自立、自力の生活をすることだ。リスクを背負い身を切る実践が我々一人一人にもますます大きく問われて来る時代でもある。

 頭でそう思っていても、なかなか実践となるとそう簡単には出来ないものだが、例え小さな可能性であっても出来るところから一つ一つ積み重ねて行けば、やがてきっと、それが当たり前のことにも思えて来るようになる。自立生活。昔の人は誰もがやって居たことだ。一日一善。出来ることから努力して、他人、他者に極力依存しない生活を実現して、グローバル化社会をぜひ生き延びて行きたいものだ。