2016年6月19日日曜日

「グローバル化の副作用に負けないために」

 環境破壊の拡大、災害の頻発、国境の争い、経済の狂奔、医療費の高騰、社会保障の難しさ、政治の混迷と低俗化、殺人、テロの多発、貧困、飢餓の激増、格差問題、少子高齢化、あらゆる分野の二極化etc。世の中の騒々しさは、かつて経験したことのないほどに高まり、どこに解決の糸口があるのか誰一人として分からないほどに厄介になって来た。

 こうしたグローバル化(世界が一つの國になって行くこと)に伴う副作用がいよいよ日常的な現象として我々一人一人の生活に降りかかり実感として感じるほど身近になっている。集合離散、解体と創造、これまでの人類の歴史を眺めれば、こうなる運命もまた良く分かる。ただ、今後、この副作用がますます激しくなって行くことだけは間違いのないこと。少しでも穏やかな人生を望む者にとっては、まさに「厭なご時世」である。

 この流れの危険から身を守るための方法があるとすれば、心して、こうしたグローバル化のための潮流や構造から自分や家族の身を守るための努力をすることである。

 原発推進に反対であれば、自力で電気を賄い電力会社から電気を買わなくすることが最も効果的な反対運動だし、食糧危機や危ない食品が心配であれば、都会から脱出して畑や田んぼを手に入れ、自分で安全安心の野菜を栽培すればいい。1%の富裕層に搾取されて経済奴隷になることが嫌であれば、彼らがつくってコントロールしている今の経済的社会構造とその不公平なゲームから外れることが最善の方法である。

 どこか便利で快適だと願うココロがわずかでもある内は、政治でも経済でも医療でも食糧でも、きっと依存してしまうことになるし、結果、自らもその仕組みを増長させてしまうことになる。改革を願うなら、極力こうした他者への依存を止め、自立、自力の生活をすることだ。リスクを背負い身を切る実践が我々一人一人にもますます大きく問われて来る時代でもある。

 頭でそう思っていても、なかなか実践となるとそう簡単には出来ないものだが、例え小さな可能性であっても出来るところから一つ一つ積み重ねて行けば、やがてきっと、それが当たり前のことにも思えて来るようになる。自立生活。昔の人は誰もがやって居たことだ。一日一善。出来ることから努力して、他人、他者に極力依存しない生活を実現して、グローバル化社会をぜひ生き延びて行きたいものだ。
 

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